井手口陽介は弥生小学校の出身!中学高校時代のヤンキー素行も話題

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ガンバ大阪で活躍する井手口陽介さん。

福岡県の出身ですが、サッカーの才能を活かすため大阪へ移住。

そんな井手口陽介さんの高校時代は素行の悪さも有名だったとか。

今回は井手口陽介さんの

・小学校時代
・中学時代
・高校時代

についてご紹介していきます。

目次

井手口陽介は福岡市立弥生小学校の出身

井手口陽介さんは福岡市立弥生小学校の出身です。

井手口陽介さんは母子家庭の生い立ちで

・母親(亜紀子さん)
・長男(正昭さん)
・次男(稔さん)
・三男(陽介さん)

の4人家族の末っ子でした。

ふたりの兄の影響で幼少期からボールを蹴るのが日常茶飯事で、自然とサッカーをはじめたといいます。

小学校1年生のとき、最初に入ったのが、アビスパ福岡のサッカースクール。

「アビスパはJリーグの育成組織のある地元唯一のチーム。そう聞いて入りました。それ以外の日は友達やお兄ちゃんたちとボールを蹴ることが多かったですね。2人でのパス交換とかホントに遊びの感覚だった。お兄ちゃんたちも優しかったし、楽しくやっていた記憶があります」

https://jr-soccer.jp/2017/09/01/post73798/2/

小学校3年生になると、友人の紹介で中央スポーツクラブFC(中央FC)にも所属。

中央FCに来た当時の井手口陽介さんの印象を、監督はこう話しています。

陽介君はお母さんに連れられて中央FCにやってきました。真っ赤なピステに身を包み、丸坊主の頭というインパクトの強いスタイルを見たときには、『(元世界的ボクサーの)マイク・タイソンみたいだな』と思ったくらいです(笑)。

https://jr-soccer.jp/2017/09/01/post73798/2/

当時の井手口陽介さんの憧れはティエリー・アンリ(元フランス代表)だったそう。

小学校時代から、それを意識したプレーをしていたようで、ボールを持ったらガンガン行くスタイルのFWでした。

年間で奪ったゴール数は数えきれないほどで

ウチに来てからはトップ下でもプレーしてもらいましたけど、頭抜けたパスセンス、ゲームメークを見せてくれました。あんなに冷静に周りを見て状況判断ができる小6の選手は見たことがなかった。

https://jr-soccer.jp/2017/09/01/post73798/3/

と言われています。

今では想像もつきませんが、当時の井手口陽介さんは「人見知り」な性格だったそう。

小学校時代の井手口陽介さんを知る監督が、こう話しています。

性格的には少し人見知りのところはありましたけど、子どもたちの間ではいつも中心で、陽介にボールが集まってきていました。本人にとっても楽しくプレーできる環境だったのかなと感じます

https://jr-soccer.jp/2017/09/01/post73798/3/

井手口陽介の中学校は?大阪へ移住した経緯

井手口陽介さんの出身中学校は公開されていませんが、高校は追手門学院高等学校と公開されています。

追手門学院といえば、中高一貫教育で有名なスポーツ強豪校。

追手門学院中学校・高等学校では、追手門学院の教育理念に基づき、中高一貫教育と豊かな人間教育を特徴とした授業を行っております。

引用:https://www.otemon-jh.ed.jp/

そのため、おそらく中学時代から追手門学院だった可能性が高そうです。

井手口陽介さんはガンバ大阪ジュニアユースでプレーするため、大阪へ移住しました。

はじめから大阪を希望していたわけではありません。

実は、井手口陽介さんは当初「JFAアカデミー福島」を受験していました。

しかし、結果はまさかの不合格。

本人はショックだったようです。その日を境に練習に早く来てグランドの周りを走ったり、自主的にテクニック練習をしたりと、目の色が変わりました。ちょうど小6の9~10月だったと記憶しています

https://jr-soccer.jp/2017/09/01/post73798/3/

そして次にチャレンジしたのがガンバ大阪ジュニアユースでした。

その選考会で井手口陽介さんのパフォーマンスを見ていたガンバ大阪コーチ陣が、即座に才能を見出します。

コーチ陣も満場一致で『あの子、ええなあ』という話になりました。

1回見ただけで合格というくらい、技術や状況判断が素晴らしかったですね。トリッキーなプレーやドリブルばかりする子が多い中、陽介は大人のようなサッカーをしていましたからね。

https://jr-soccer.jp/2017/09/01/post73798/4/

2009年の春に、井手口陽介さんは母親とともに福岡を離れ、大阪へ。

当時、阪南大学に通っていた長男・正昭さんとともに3人で暮らしながら、Jリーグトップクラブのアカデミーでプレーすることになりました。

井手口陽介は追手門学院高等学校で寮生活

井手口陽介さんは追手門学院高等学校へ進学しました。

井手口陽介さんの母親が

ガンバ大阪のユースに進むと、全員が追手門学院高校に入学し、寮生活をしなければならない。

https://www.dailyshincho.jp/article/2017/09220558/?all=1&page=2

と取材で話していたので、少なくとも高校時代は「寮生活」をしていた様子。

ただ、この時期には素行の悪さが目立つようになったと言います。

高校時代はヤンキー?素行の悪さが話題

井手口陽介さんは高校から寮に入りました。

しかし、寮生活は肌に合わず、高校に入ると急に性格が暗くなったそう。

素行の悪さも目立つようになりました。

・門限を守らない
・練習をサボる
・学校に遅刻する
・ミーティングの態度が悪い
・クーラーボックスを蹴飛ばす
家でもドアを叩いて穴をあける

多感な思春期とはいえ、母親をとても心配させていたようです。

井手口陽介さんは当時のことを

「何を言われるにしてもうざかった」

「言うことを聞きたくなかった」

引用:https://news.livedoor.com/article/detail/13870653/

と話しています。

ついには、高校時代にサッカーをやめることも考えるようになったとか。

しかし、母親の病をきっかけに、心を入れ替えたそう。

寮の門限を守らず、授業にも度々遅刻して、学校での生活態度は荒れていました。(中略)でも、高2のとき、私が大病したのをきっかけに立ち直り、何ごとにも前向きに取り組むようになってくれました

高校2年生のとき、母親の亜紀子さんから、生死にかかわる病気が見つかりました。

手術を受けることになったと打ち明けられ、「心配をかけたから病気になった」と思う息子に、母親は

「私も病気に向かって頑張って治療していくから、陽介も自分がやらないといけないこととか必死で前向きにやりなさい」

https://news.livedoor.com/article/detail/13870653/

と話したといいます。

このとき井手口陽介さんは

「心を入れ替えて頑張ろうという気持ちになった」

https://news.livedoor.com/article/detail/13870653/

といいます。

母の病気が、心を入れ替えるきっかけになったのですね。

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