野洲高校時代はセクシーフットボールと称されるサッカーで旋風を巻き起こし、
高校サッカー選手権を優勝、それ以降も日本を代表するドリブラーとして名を刻んできた乾貴士選手。
日本、ドイツ、スペインとプレーし、2021年8月31日には古巣のセレッソ大阪への復帰が発表されました。
そんな乾選手の年俸推移を見ていきましょう。
乾貴士の年俸推移を時系列で紹介
乾選手は小中学生時代に地元滋賀県のセゾンフットボールクラブに所属していました。
2004年、滋賀県立野洲高等学校に進学。2年生で左ウイングのレギュラーをつかみ、
2005年度の第84回全国高等学校サッカー選手権大会に出場、
大会優勝を経験しました。そして2007年、横浜F・マリノスに入団することになります。
横浜F・マリノス時代の年俸
野洲高校卒業後は横浜F・マリノスに入団することに。
しかし7試合のみと出場機会には恵まれませんでした。
J1第2節・対横浜FC戦でプロデビューを果たしたものの、以降は横浜FMの厚い選手層に阻まれ、
なかなか出場機会を得られなかった。
セレッソ大阪時代の年俸
乾選手はレンタル移籍したセレッソ大阪で開花することに。2009年にはA代表デビューを果たしました。
2008年6月からセレッソ大阪へ期限付き移籍し、香川真司と息の合ったプレーを披露。
2009年5月23日のJ2第17節アビスパ福岡戦や、同年11月8日のザスパ草津戦で、
1試合4得点(ハットトリック)を決め、チームの4年ぶりのJ1昇格に貢献した。
個人としての活躍と、チームが1部に昇格したことも相まってか、年俸が大幅に上昇。
同年夏、ドイツのVfLボーフムに移籍することとなる。
VfLボーフム時代の年俸
乾選手は過去に小野伸二選手が所属していたボーフムに移籍することに。
8月12日のFCザンクトパウリ戦にトップ下で先発出場。以後レギュラーに定着し、
リーグ戦30試合に出場し、チームトップの7得点を記録するもチームは低迷し、1部昇格を逃した。
同年夏、アイントラハト・フランクフルトへの移籍が決定する。
フランクフルト時代の年俸
ボーフムでの活躍が認められ、フランクフルトに移籍することに。2012-13シーズンには
ブンデスリーガ所属の日本人選手最多となる6ゴールを挙げる活躍を見せ、
チームのUEFAヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献しました。
9月16日、ホームのハンブルガーSV戦でブンデスリーガ初ゴールを決めた。
その後2試合でもゴールを決め、3試合連続ゴールを達成した。
同シーズンは序盤こそ出場機会があったが、徐々に出番が減り第28節以降は出場機会がなく、
最終的にリーグ戦では無得点に終わった。
リーグ戦の得点は1点に留まったが、シーズン通して出場機会は確保した。
2015年8月27日、スペインのSDエイバルへ完全移籍することが決定した。
エイバル時代の年俸
スペイン1部のエイバルへ完全移籍することに。乾選手の念願だった
スペインでのプレーが実現することになりました。
2015年9月23日、リーガ・エスパニョーラ第5節レバンテUD戦において、
トップ下スタメンでリーガデビュー。
2016年1月10日、リーガ・エスパニョーラ第19節のRCDエスパニョール戦でリーグ戦初得点。
5月21日、最終節のFCバルセロナ戦では2得点の活躍をし、日本人として
初めてバルセロナから得点を奪った。このバルセロナ戦での活躍は日本でも大きく報じられ、
日本代表の岡崎慎司からは「サッカー小僧が伝説残した」と語られた。
2018年6月1日、レアル・ベティスと2021年までの3年契約を締結したことが発表された。
レアル・ベティスの年俸
ロシアワールドカップの好調はあったものの、クラブチームでは出場機会に恵まれませんでした。
8月17日、ラ・リーガ開幕節レバンテUD戦にて途中出場し、移籍後リーグ戦初出場となった。
その後は序盤こそ試合に出ていたものの、徐々に出場機会を失い定位置を確保できず、
最終的にリーグ戦8試合の出場にとどまった。
2019年1月24日、出場機会を求めてデポルティーボ・アラベスと
シーズン終了までの期限付き移籍が発表された。
アラベス時代の年俸
2019年1月24日、出場機会を求めてアラベスへレンタル移籍することに。
2月23日、第25節のセルタ・デ・ビーゴ戦で日本人史上初となる
リーガ・エスパニョーラ通算100試合を達成した。
エイバル時代(第2次)の年俸
2019年7月24日、約1年ぶりにエイバルへ復帰することに。
12月20日、第18節のグラナダCF戦で復帰後初得点を決めた。
背番号を「14」に変更。しかし、同シーズンはリーガ最下位におわり、
セグンダ・ディビシオン降格が決定。
2021年6月28日に退団が発表された。
セレッソ大阪時代(第2次)の年俸
2021年8月31日、セレッソ大阪復帰が正式に発表されました。クラブからは空き番号となっていた7番を
用意されましたが、乾選手がセレッソから海外移籍した際の年齢であった23で再スタートしたいという
思いがあった為、23の背番号を着けることに。
公表はされていませんが、推定1億円とされています。
後記
いかがでしたでしょうか?ロシアワールドカップでは目覚ましい活躍をした乾選手。
ドイツ、スペインでの経験を経て、復帰したセレッソでは
どのようなプレーを見せてくれるのか、楽しみです!