宮城天の小学校は?中学高校まで紹介!川崎出身ハーフで父親がミャンマー人

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川崎フロンターレで活躍している宮城天さん。

宮城天さんの経歴に注目が集まっていますね。

宮城天さんは、なんとミャンマー人と日本人のハーフだそう。

今回は宮城天さんの

・出生や両親
・小学校・中学校・高校

についてご紹介していきます。

ぜひ最後までご覧ください!

目次

宮城天の生い立ちは?川崎出身のハーフ

宮城天さんは2001年6月生まれ、神奈川県川崎市の出身です。

宮城天(みやぎ・てん)

■ポジション:FW

■生年月日:2001年6月2日

■身長/体重:176cm/68kg

■出身地:神奈川県川崎市

https://soccermagazine.jp/j1/17422251

宮城天さんの両親は

・父親(ミャンマー人)
・母親(日本人)

とのこと。

名前の由来については

「かっこいいからじゃないですかね?(笑)。兄も漢字2文字で、響きがいいので」。

https://www.frontale.co.jp/f_spot/pickup/2021/04.html

と話しています。

生まれも育ちも川崎なので、ハーフとはいうものの、雰囲気は純日本人ですよね。笑

ハーフということを知らないファンも多く

え?宮城天ってハーフなの?

という驚きを持つ人も、いまだに多いようです。

宮城天さんは幼稚園から小学校に上がる頃にサッカーを開始。

自宅の目の前(徒歩10秒)にある公園で友達とサッカーをしていました。

宮城天は川崎市立下小田中小学校の出身

宮城天さんは川崎市立下小田中小学校の出身です。

宮城天さんは小学1年生のとき、地元の強豪である橘サッカークラブに入団。

友人の影響を受けてフロンターレの

・下野毛スクール
・矢向フットサルスクール(幸・味の素スクール)

にも加入していました。

加入当時から「競い合う」ことを学んでいったといいます。

「橘SCは川崎市大会で2位になったりして強かったけど、スクールにはいろんなチームのうまい子が集まっていて、『楽しく』というより『競い合う』という感じでした。ゲームをした記憶しかないです。子どもで負けず嫌いだったので、とにかく試合をして、勝って喜んだり、負けて泣いたりした記憶があります

https://www.frontale.co.jp/f_spot/pickup/2021/04.html

小学4年生のときには、セレクションに合格してフロンターレU-10の一員になります。

ただ、守備は苦手だったようで

守備ができなくて…。小4のとき、5-0で勝っていた試合でセンターバックをやらされて、5-5に追い付かれた記憶があって、トラウマです(笑)

https://www.frontale.co.jp/f_spot/pickup/2021/04.html

というエピソードも。

小学5年生、6年生のときは川崎フロンターレU-12で活躍しました。

プロとしてやっていく意識が芽生えたのは小学6年生の頃だったそうです。

宮城天は川崎市立井田中学校の出身

宮城天さんは川崎市立井田中学校の出身です。

中学時代(2014年 – 2016年)は川崎フロンターレU-15に所属。

その実力を買われて、早い段階から1学年上のチームでプレーしていました。

中学2年生だった宮城天は、ひとつ上の学年の選手たちとともに、関東ユース(U-15)サッカーリーグを戦っていました。

https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:PMxatE1ztIMJ:https://kawasakisodachi.net/archives/53568+&cd=7&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

色んな先輩たちから刺激を受けながら、フロンターレのアカデミーで順調に昇格を重ねていきます。

宮城天は川崎市立幸高校の出身

宮城天さんは川崎市立幸高校の出身です。

川崎市立幸高校の偏差値は44なので学力はごく一般的なクラスの高校です。

宮城天さんは高校1年時から中心選手に成長。

高校1年の夏には神奈川県代表として国体に出場、人生初の「日本一」を経験しました。

しかし、高校2年生のときに左膝の後十字靱帯(じんたい)の怪我に見舞われました。

「高2の夏くらいまで順調に来ていて、調子が良くて。自分で言うのもなんだけど、良い感じだ、と思っていたんですよ。でも、高2の7月に左膝の後十字靱帯(じんたい)を断裂しちゃって、そこからずっと苦しかったです。高3の夏くらいまで、ずっとキツかった」

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復帰には全治4ヶ月~5ヶ月を要し、ピッチに戻ってからも本来のプレーはなかなか取り戻せない時期が続きます。

宮城天さんは途中から、プロは無理だろう、と諦めを感じていたそうです。

ケガする前は自分の思い通りに何でもできていたイメージだけど、ケガしてから何もできなくなった。ただの選手になっちゃった。普通の、プロレベルの選手ではなかったです、その時期は。プロは無理だな……と思い始めました

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しかし、高校3年生の6月には、プロ入りが内定。

強化部は「怪我の影響や、怪我前の実績」も考慮し内定を決めたといいます。

「ケガをする前のプレーは、強化部長(当時)の庄子含めて、みんな知っていました。技術があって、スピードも悪くなかった。高2の段階で、『このまま行けばトップ昇格だね』と話していたんです。ケガをしてしまって、確かにプレーは良くなかった。誰が見ても、昇格できるような選手じゃなかった。でも、それはケガの影響。ドクターも『一生戻らないわけじゃない』と言っていました。本来の力は、ケガ前の試合を見に来ていた強化部も知っている。モノは持っているな、という印象がありました

https://www.frontale.co.jp/f_spot/pickup/2021/04.html

宮城天さんは高校卒業後、2020年シーズンからプロデビューを果たしました。

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