川崎フロンターレで活躍中の登里享平さん。
現在の最高年俸は6000万円とも言われています。
今回は、登里享平さんのプロ契約してからの年俸を時系列でご紹介していきます。
登里享平の年俸推移を時系列で!最高収入は6000万円
経歴プロフィール
登里享平さんは1990年11月生まれ、大阪府東大阪市の出身です。
・東大阪市立孔舎衙東小学校
・東大阪市立孔舎衙中学校
・香川西高校
を卒業しています。
もともと登里享平さんはサッカー強豪校の帝京高校への進学を希望していました。
しかし、帝京高校へは特待生での入学が叶わなかったため、香川西高校のの進学を決めます。
香川西高校時代には
・1年生からレギュラーに定着
・全国高等学校サッカー選手権大会に3年連続で出場
・選手権後に高校選抜の一員として国際大会に参加
という活躍をみせています。
高校卒業後の2009年シーズンから、川崎フロンターレに入団しています。
川崎フロンターレ時代
登里享平さんは2009年からプロ契約を結んでいます。
登里享平さんの、プロ入り当時の武器は、左サイドでのドリブル突破。
プロ入り直後のインタビューで、こう答えています。
「ファーストタッチで前に運んで、一気に相手を抜ききるのが僕のスタイルですね」
川崎フロンターレでの年俸推移は次の通りです。
2009年6月20日のJ1第14節、対大分トリニータ戦で途中出場しプロデビューを果たす。
背番号23。リーグ戦2試合出場、1得点。
リーグ戦9試合出場、0得点。
2010年 U-21日本代表(2010年アジア競技大会)に選出。
リーグ戦19試合出場、2得点。
2011年 U-23日本代表(ロンドン五輪アジア予選)に選出。
リーグ戦16試合出場、2得点。
リーグ戦29試合出場、0得点。
リーグ戦19試合出場、1得点。
2014年シーズン序盤に右膝内側側副靭帯を損傷して離脱。
7月15日のJ1リーグ第12節で先発に返り咲く。
そこからスタメンに定着し、シーズンを通してリーグ戦19試合に出場。
リーグ戦1試合出場、0得点。
シーズン序盤で左膝半月板損傷。手術を受け全治4ヶ月と診断。
最初は松葉杖だったが、2ヶ月後にはウオーキングできるようになり、3ヶ月後にはジョグできるように。
1ヶ月くらいが過ぎて、少しずつやれることが増えてきて、チームメイトとも顔を合わせる機会が増えてきたんですよね。そうしたら同じようなケガを経験している選手をはじめ、みんなが気にかけてくれて、ご飯に誘ってくれたりしたんですよね。ヨシトさん(大久保嘉人)、コバくん(小林悠)、ケンタロウくん(森谷賢太郎)もそう。コバくんなんてひととおり(ケガを)経験しているので、もう膝師匠ですよ(笑)。これをやったらいいとか、あれが効果的とか、いろいろとアドバイスしてくれました
https://www.frontale.co.jp/f_spot/pickup/2016/10.html
2015年10月24日、2ndステージ第15節、対横浜F・マリノス戦にて復帰。
復帰の翌日、リハビリ期間中も支えてくれた彼女と入籍。
第16節の浦和レッズ戦のウォーミングアップ中に右大腿直筋肉離れを起こしてシーズン終了。
「いやー、2015年はほんまに波瀾万丈でしたよね。ただ、手術する前のリハビリに比べたら、肉離れなんてって思えましたよね(笑)。原因もはっきりしているし、時間が経てばよくなるのも分かっていましたからね」
https://www.frontale.co.jp/f_spot/pickup/2016/10.html
リーグ戦14試合出場、0得点。
背番号が2に変更となる。
2016シーズンは14試合に出場したが、同じポジションである車屋紳太郎の控えに回る事が多かった。
リーグ戦23試合出場、1得点。
12節に行われた鹿島アントラーズ戦で、リーグ戦約3年振りとなるゴールを決める。
リーグ戦25試合出場、0得点。
リーグ戦27試合出場、0得点。
リーグ戦29試合出場、0得点。
4-3-3のフォーメーション変更で、左サイドバックのポジションを確保。
リーグ無得点に終わったが、29試合に出場。
自身初のJリーグベストイレブンに選出される。
2021年の年俸6000万円と発表される。
登里享平さんの年俸推移をご紹介しました。
登里享平さんは、堅実にボールをキープし、小さなミスやボールロストがない技術の安定感にも定評があります。
怪我に苦しんだ時期もあった登里享平さんの今シーズンの抱負は
怪我をしないこと
だそうです。
登里享平さんが怪我なく活躍できるよう、みんなで応援しましょう!