山口蛍さんは父子家庭の生い立ちです。
幼い頃に両親が離婚し、父親に引き取られました。
今回は、山口蛍の生い立ちや家族についてご紹介します。
山口蛍の家族構成
山口蛍さんは1990年生まれ、三重県名張市の出身です。
「暗闇でも明るい光を放ち続けられますように」
https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/05/07/kiji/K20140507008109140.html
という両親の願いを込めて「蛍」と名付けられました。
山口蛍さんの家族は当初は
・父親
・母親
・長男
・次男(山口蛍)
の4人家族でした。
山口蛍さんがサッカーを始めたのは社会人チームでプレーしていた父親の影響。
父親にくっついてグラウンドに行き、見よう見まねでボールを蹴ったのが始まりです。
「“端っこでボール蹴っとけ”と言って遊ばせていたのが、蛍が初めてサッカーに触れた時だった」
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山口蛍さんは小学3年生になると、地元クラブチーム「箕曲(みのわ)WEST SC」に入団。
プレー経験を買われ、憲一さんも地元クラブのコーチとして迎え入れられました。
しかし、山口蛍さんが小学4年生のときに両親が離婚。
父親が兄と山口蛍さんを引き取り
・父親
・長男
・次男(山口蛍)
の3人家族(父子家庭)となりました。
山口蛍の生い立ちは父子家庭
両親が離婚した当時、山口蛍さんは10歳の少年でした。
両親の離婚について聞かされたとき、山口蛍さんはうまく状況を飲み込めなかったといいます。
「説明したけど、(蛍は)離婚がどういうことか分かっていなかったと思う。徐々に情緒不安定になっていった」
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両親の離婚後には、近所でボヤ騒ぎを起こしたことも。
父親は当時を次のように振り返っています。
「当時は絵を描いても、黒とか赤を使うことが多かった。(離婚の)影響が出ていた」
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山口蛍の父親
山口蛍さんの父親は山口憲一さんです。
山口憲一さんは、もともとサラリーマンとして大阪の会社まで通勤していました。
しかし、離婚を機に、2人の息子と過ごす時間を確保するためサラリーマンを辞職。
地元でアルバイトを掛け持ちし、子供たちと過ごす時間も確保しながら、生計をたてる生活をはじめました。
・朝は新聞配達
・昼は息子たちとボールを蹴る
・夜はバーテンダーとして働く
という生活で、当時には、こんなエピソードも。
サッカーの練習を終えると、親子3人で父が働くバーに向かい、息子たちは近くに止めたワンボックスカーで寝る時もあった。
決して余裕のある生活ではなかった様子が伺えます。
父親へ車をプレゼント
山口蛍さんはロンドン五輪の後、父親に車をプレゼントしています。
経済面では決して裕福ではなかった家庭でしたが、父親は山口蛍さんをいつも全力で支えてくれたといいます。
ジュニアユースの練習場まで、自宅から電車と自転車を乗り継いで、片道1時間50分。
「練習が終わるのは午後9時ぐらい。みんなで帰りにパンとか買って食べたりしてたから家に帰るのはだいぶ遅かったですね」
父はいつも駅まで迎えに来てくれたという。それだけではない。山口が欲しがった高額のスパイクも買い与え、息子の将来を全力で応援した。
https://smart-flash.jp/sports/57125
決して裕福ではない家計をやりくりし、支えてくれた父親への感謝の気持ちだったそうです。
心温まるお話ですね。
山口蛍の兄
山口蛍さんには2歳年上の兄がいます。名前は山口岬さん。
幼い頃は兄の岬さんといつも一緒になって遊び、裏山を駆け回ったといいます。
とてもヤンチャな兄弟で、水田に水を供給するための貯水池の栓を勝手に抜き、大騒動を起こしたことも。
「悪ガキだった。近所でもよく怒られていました」
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と父親が話しています。